頸部摘出術までの経緯準広汎子宮頸部摘出術を受けるまでの経緯です<2006年秋> 自覚症状として不正出血(性交時出血)が始まる。おりものの異臭も。 <2006年12月> 結婚。長野から東京郊外へ嫁ぐ。 <2007年前半> 地元クリニックで何度か細胞診 3a→2→3a。 <2007年8月> 組織診で高度異形成(3b)。円錐切除を勧められ、公立病院を紹介され転院。 妊娠&出産がこれからなので、経過観察になる。妊娠したら手術は出産後にすると言われ、子づくりに励むが・・なかなか。 <2008年1~2月> 組織診で高度異形成。やはり円錐切除しましょうということになる。経過観察は何だったのか・・主治医へのちょっとした不信感などもあり、セカンドオピニオンを受けたりした。その病院でも手術は必要だと言われる。どちらの病院でも「悪くて上皮内ガンでしょう」と言われていた。主治医のもと2泊3日の入院で円錐切除を受ける。痛みも少なく、無事退院。これですっかり治った気でいたら。。。 <2008年3月> 切除部分の病理検査の結果、医師も想定外の「子宮頸ガン1b1期」と判明。子宮はあきらめることになるでしょうと言われガク然。大きな病院での治療を勧められ、ネットにかじりつき病院&治療法を探す。子宮温存できる「広汎子宮頸部摘出術」を行っている慶応大学病院の情報を見つけ、紹介状を書いてもらい転院。 <2008年3~4月> CTやMRI、PET検査などを次々に受け、腫瘍が小さいこと、転移がないことなどから広汎子宮頸部摘出術の適応範囲内と判断される。腫瘍の広がりは1b1期だが、浸潤(深さ)は1a1期だということ。再度の円錐切除ではダメか?と相談すると、前回の手術で結構深く切除していて、もう削る部分がないということ。開腹して「準広汎子宮頸部摘出術」を受けることが決定した。リンパ節は取っても数個、基靭帯は一部切除するとのこと。 <2008年4月18日~5月8日> 慶応大病院に入院。準広汎子宮頸部摘出術を受ける。 広汎子宮頸部摘出術(トラケレクトミー)について 子宮温存が決まるまでは、涙の日々でした。夫をはじめ、家族の支えに助けられました。そして自分の体験をネット上で公開してきた先輩たちに助けられました。ネットや色んな本から、ガンの原因には、自分の心のあり方が大きく関わっていると感じ、がんじがらめになっていた仕事を辞めました。もっと自由に気持ちよく、ゆるゆると生きたい!と思っています。そんな贅沢なこと、そう簡単にはいかない、かもしれませんが・・・変わるも変わらないも自分次第。目指すのも自由。 というわけで、目指せ!ゆるゆるLife♪ |